History
「箱根の覇者、駅伝の大東」と呼ばれた時代から、予選会を戦う現在地まで。1967年の創部から半世紀を超える歩みを辿ります。
ここから半世紀を超える箱根駅伝への挑戦が始まる。翌年には早くも本戦の舞台に立った。
1968年4月に就任した青葉昌幸監督のもと、初出場の第45回大会では1区で1位通過。出場2年目にしてシード権を獲得し、以後大東文化大学は着実に力をつけていく。
東北高出身の大久保初男は、第50回から第53回まで4年連続で5区(山登り)を制覇。この快走が「山の大東」という異名の起源となり、翌年からの初優勝・連覇に直結した。詳しくは名選手たちのページで。
往路4区でトップに立つと大会新記録で往路優勝。大久保初男が5区で区間新記録の走りを見せ、復路も6区・10区で区間新記録。総合11時間26分10秒の当時の大会新記録で完全優勝を飾った。
大久保初男が5区で3年連続の区間賞。「箱根の覇者、駅伝の大東」という言葉が広く知られるようになったのはこの頃だ。
10区アンカー・濱矢将直が区間2位の走りで2位・山梨学院大に6分26秒差をつけて総合優勝。この年、出雲・全日本・箱根の学生三大駅伝すべてを制する史上初の三冠を達成した。
総合11時間19分07秒で連覇を達成し、箱根駅伝での通算優勝回数は4回に到達した。
長らく日本人選手だけで箱根を目指す方針で知られてきた大東文化大学が、この年に初めてケニア出身の留学生を迎え入れ、チーム強化の選択肢を広げた。詳しくはチームの個性のページで。
仙台育英高校を全国屈指の強豪に育てた大東文化大OB・真名子圭氏が監督に就任。就任1年目で5年ぶりの本戦出場を果たし、シード権奪還を目標に挑戦が続いている。