Legends & Philosophy
4度の総合優勝の裏には、時代を象徴する走りをした選手たちがいた。そして彼らを育てた指導の哲学は、今のチームにも受け継がれている。
Legends
「山男」の異名を持つ山登り5区のスペシャリスト。4年連続で区間賞を獲得し、「山の大東」という呼び名の起源となった選手。その走りが初優勝・連覇の原動力になった。
大学2年の夏に心疾患を患い、一時は競走生命を危ぶまれたが1年で完治。3年目にはユニバーシアード10000mで優勝するまでに復活し、全日本大学駅伝でもエースとして活躍。4年次には箱根駅伝2区で区間賞を獲得した。卒業後は旭化成に進み、1988年ソウル五輪の日本代表に選出された。
1区・2区・3区を歴任し、第63回大会では2区で区間賞を獲得。卒業後は大東文化大学の教員・陸上競技部監督となり後進を指導した。2008年の第84回大会では体調を崩した選手に途中で並走して声をかけるなど、選手に寄り添う指導者としても記憶されている。
1年時の第64回大会、1区でスタート直後から独走し区間賞を獲得する鮮烈なデビューを飾った。2年目以降はエースとして3年連続で花の2区を担当し、連覇に貢献。卒業後は実業団を経て、1996年の東京国際マラソンで日本人トップに入り、アトランタ五輪のマラソン代表に選ばれた。
4年連続で山登り5区を任された生粋の山男。1年時の第66回大会(1990年)で区間賞、2年時の第67回大会(1991年)は区間2位、3年時の第68回大会では区間新記録をマークするなど、黄金期の5区を支え続けた。卒業後はNTN・日清食品でニューイヤー駅伝に計9度出場し、1997年には世界ハーフマラソン選手権の日本代表に選出された。引退後の2008年からは大東文化大学の監督として11年間チームを率いた。
高校時代に1500mの日本高校記録を樹立し、1988年のインターハイでも優勝。大東文化大学では10区(アンカー)を任される選手となり、1991年の第67回大会では独走で2位・山梨学院大学(当時過去最高の2位)に大差をつけてゴールテープを切り、連覇(V2)を達成した。翌1992年の第68回大会もアンカーを務めた。
連覇を知る世代の一人。三連覇のかかった1992年の第68回大会で2区を任され区間5位(チームは総合5位)。卒業後は実業団でマラソンに転向し、国内サブテン(2時間10分切り)4回は当時の日本人最多記録だった。
1〜3年次は山登り5区を3年連続で担当しいずれも区間6位、4年次には花の2区で区間10位。地道な走りで力をつけ、卒業後の旭化成では主将も務め、2016年リオデジャネイロ五輪の男子マラソン日本代表に選出された。
Philosophy
努力によって、不可能を可能にする。
これは陸上競技部に代々受け継がれるスローガン。派手な戦略よりも、日々の走り込みと精神面の鍛錬を積み重ねる泥臭さこそが 大東文化大学の駅伝を支えてきた土台であり、先輩たちが築いた歴史と伝統を後輩が引き継ぐという意識が、 今のチームにも色濃く残っている。
TRADITION
青葉昌幸監督が一から作り上げ、大久保初男や濱矢将直といった選手たちが体現した1970〜90年代の黄金期。「箱根の覇者」と呼ばれた時代の走りは、今も部の精神的な原点として語り継がれている。
NOW — 真名子 圭 監督
2022年に就任した大東文化大OB。仙台育英高校時代から選手を指導してきた縁もあり、留学生を含む選手一人ひとりとの信頼関係を重視しながら、シード権奪還に向けたチーム作りを進めている。